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『泣いてたまるか』社長Blog

脳の機能のアウトソーシング

私は何度となく記憶することの大事さに触れてきました。
それほど現代では記憶することの大事さが薄れているように感じられます。
いや、記憶する機会や必要性が薄れていると言ったほうが正解でしょう。

私が、その元凶のひとつと考えているのが
人が「脳に記憶する」代わりとなる機能を持つ機器が登場したことです。
言うなれば、脳の記憶機能のアウトソーシングです。

その一つの例が携帯電話です。
殆どの人が携帯電話も持っている現在、皆さんは何人の人の電話番号を覚えていますか?
恐らく10人程度の電話番号を覚えていれば多いほうだと思います。
いつも持ち歩いている携帯電話に記憶されているのですから、わざわざ覚える必要がありませんよね。

カーナビの普及だってそうです。
住所や電話番号を入力すれば、勝手に目的地に連れて行ってくれます。
道順を覚えなくったって、何度でも連れて行ってくれます。
道を覚る努力をしなくても何の支障もありません。おかげで、最近は私も道を覚えられなくなってしまいました。

インターネットの普及も大きな要因だと考えます。
探したい事柄や調べたいものがあっても、ものの何十秒かで解決してくれます。
ものの、何十秒かで調べられるものを、誰が覚えようと努力するでしょう。

一昔前は記憶したほうが格段に便利だったり、効率的だったりと、記憶する効用を強く感じられたものですが、現代ではそれが格段に薄れているのです。だから、記憶する習慣が徐々に無くなり、記憶することが極端に苦手になっているのです。

学校の勉強だって、テストの為だけに一夜漬け。
テストが終わると殆ど、きれいに忘れていると言う話を耳にします。大阪府知事の橋下氏が嘆いていたように、長時間の記憶が要求される実力テストの成績が徐々に低下しています。

また、これらの機能は前もって考え、準備する必要も無くします。
昔の待ち合わせは風情があったものです。

一旦、家を出たら、もう二度と連絡が取れません。誰しも、一度や二度、待ち合わせに失敗したり、なかなか会えなくて、ヤキモキした経験を持っています。ですから、間違いが起こらないように事前に十分打ち合わせをしました。少し遅れた場合の事まで決めていたものです。
しかし、今では携帯電話を使い、その場で連絡を取り合えばお終いです。事前準備なんていりません。その場その場の対処で事足ります。

少し話はズレますが今の若者にポカが多いのは、昔より事前準備が重要ではなくなり、その場でなんとか取り繕える事が多くなった事にも大きな要因があると私は考えています。

私は、せっかく便利な物があるのだから、それを使うなとは言っていません。
ただ、それが為に蝕まれる機能があることを自覚すべきだと言いたいのです。記憶する事の有用性が薄れた現在、記憶する事が億劫になっていることを自覚し、それを補う努力をする必要があるのだと思っています。

ゴルフがオリンピック競技に

ゴルフが
2016年に開催されるリオデジャネイロ オリンピックで五輪種目として復活することに正式に決まった。
実に112年ぶりの五輪復帰となる。

ゴルフ業界は五輪への正式採用は近年にない素晴らしいニュースと大歓迎している。

「フェアプレーの精神」 「自己責任の精神」を重んじるゴルフというスポーツが、広く親しまれることは
社会にとっても歓迎すべきことだと思う。

オリンピックを機会に子供たちがゴルフに親しみ、ゴルフの奥深さに触れることは
必ず、その後の人生にプラスとなるものと確信する。

「自己責任の精神」は己を成長させる栄養源だ。

松下幸之助氏の教え

松下幸之助氏が亡くなってから20年経過した今日でも
松下幸之助氏に関する書籍の刊行が続いています。

若い経営コンサルタント等の書籍が次々にベストセラーを生み出しているが
こうした本の多くが後々まで語り継がれることは稀です。
また、こうした本は数年後に読み直したら既に通用しないとうケースも多い事でしょう。

一方、
松下幸之助氏の考え方や哲学には時代を超えた普遍性があるのだと思います。
「道をひらく」「商売心得帖」のような超ロングセラーから毎年のように刊行される書籍まで、

氏の本を読むときは、その根本にある大きな哲学を感じながら読む必要があると思います。
また、その為には、数多く、繰り返し読むことです。

なぜ、今でもその哲学は色あせないのか、人々の共感を呼ぶのか

共感できるはずです。

石田三成の逸話 その3

私がもっとも感心した逸話です。
「翁物語」に出てくるものです。大雨で淀川の水嵩が増し、土嚢を積んでも間に合わず、もう堤が決壊しそうになった際、三成が指示して大坂城の米倉を開き、土嚢の代わりに米俵を積み上げ、決壊を食い止めたというものです。雨が上がったのち、三成は近在の百姓に米俵を土嚢に積み替えさせ、報酬にその米俵を与えたため、百姓も喜び工事が一気に進んだといいます。

ついでにもう一つ
秀吉が三成に禄を与えようとしたとき、三成が
「領地はいりません。その代わり、淀川の河原の葦に対する運上(税金)を許していただきたい。それで一万石の軍役を致します。」と答えたという逸話です。

葦はご存知のとおり、屋根を葺いたり、簾や御座などに使われるものです。当時は河原に自生していたものを、使っていました。
 三成はこれに課税することで、秀吉の丹波攻めには、約束どおり一万石分の軍役をし、華麗な軍装で参加したと言います。

石田三成の逸話 その2

「三成に過ぎたるもの二つあり、島の左近と佐和山の城」
と言われた三成の重臣・島左近ですが、この左近が三成に仕える事になるにあたっての有名な逸話があります。

これは三成が水口城主になり四万石を加増された時の話と言われています。
秀吉が三成を呼び、「今度、禄を加増したが、何人ほどの家来を抱えたか。」と尋ねたところ、三成は「一人だけです。」と答えたというのです。
呆れた秀吉が、「一体、誰を家来にしたのか」と問うと、三成は「島左近です。」と応じました。
秀吉は驚き、「島左近といえば、天下の名士だ。お主のように、小禄の者に仕える者ではない。
一体、いくらの禄高で召し抱えたのか。」というと、「されば私の禄高四万石の半分の二万石で召し抱えました。」といい、これを聞いた秀吉は、笑いながら「君臣の禄高が同じというのは、聞いたことがない。
しかし、そうでなければ左近ほどの人物が三成には仕えまい。」と興じたというのです。

この逸話が真実かどうかについては、諸説あります。
島左近が三成に仕えた時期についても諸説ありますが、いずれにせよ、三成が島左近を、周囲を驚かすような高禄で召し抱えたことは確かなことでしょう。